巷では「多数決で決めるのは民主主義じゃない!」とか、「民主主義は多数決だろバーカw」といった論争が盛んなようだ。特にここ2~3年は特定秘密保護法案やら、Sealdsやら(死語か?)、イギリスのEU離脱やら、トランプ大統領の誕生やら、「民主主義」とか「多数決」といった言葉が世間を賑わせていたイメージがある。
そこで、自分の考えを忘れないように私見を記しておきたいと思う。
民主主義は「理念」
そもそも民主主義とはなんだろうか。
民主主義は、「主義」というからには何かの「理念」である。どんな理念かというと、「みんなのことはみんなで決めよう」という理念である。これを堅く言うと、「統治者と被治者との同一性」だ。自分たちが選んだのでもない王様に支配されるのは納得いかない。自分たちのことは自分たちでルールを決めてやっていこう。
これが民主主義の理念である。
多数決は「関数」
一方、多数決とはなんだろうか。
これは、「決め方」である。もっと詳しく言うと、「いくつかの選択肢の中から、各人が1番良いと思うものを1つ選び、最も多く票を集めた選択肢をみんなの決定とする」決め方である。長い。
決め方とは箱、「関数」である。
関数には、インプットとアウトプットがある。一人一票を持ち、各人が自分の好みを投票用紙に書いて箱にぶち込む(インプット)。すると、一番票を獲得した選択肢が自動的に出てくる(アウトプット)。実際、多数決の票を集計するのは単なる機械的な作業である。個人の意志が入り込む余地はない。
「理念」=「関数」?
そもそも民主主義は「理念」であり、多数決は「関数」だ。
この二つはどうやったって等式で結ぶことはできない。「民主主義=多数決」というのは「100m=100kg」とやっているようなものなのである。
すなわち、「民主主義は多数決である」という文は、意味をなさないのではないかと思うのだ。
補足:多数決以外のものの決め方
多数決の説明で「各人が1番良いと思うものを1つ選ぶ」という点を挙げた。
当たり前のことかもしれないが、選挙の投票用紙には1つにしか〇を書き込むことはできない。ということは、個人が選択肢に「1番はこれ、2番はあれ...」と順位付けしたとすると、2番以下は選挙結果に全く反映されない。
多数決とは「1番に1点、2番以下に0点を付ける」ものの決め方なのだ。
では、例えば「1番に3点、2番に2点、3番に1点を付ける」決め方もあるのではないだろうか。実はそんなルールは「ボルダルール」と呼ばれており、中欧スロベニア共和国の国政選挙の一部で用いられている。
つまり、多数決とは沢山ある決め方の1つに過ぎないのだ!
こんな決め方について分析する学問を、「社会的選択理論」という。
ここでこのような反論があるかもしれない。
「いやいや、多数決とボルダルールって、結局投票でもの決めてるやん!なんか違うの?」
実は全く違うものであり、それは数学的に証明されている。多数決は多数派"すら"尊重しないことがあるというのはあまり知られていない事実なのではないだろうか。
そんな「多数決以外のものの決め方」が気になったら、この本を読むことをお薦めする。
「決め方」の経済学―――「みんなの意見のまとめ方」を科学する
- 作者: 坂井豊貴
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