きぽん’s Room

kipon氏の日々の進捗を音楽とともに記録していくお部屋です

20210527 森田真生「数学の贈り物」

久しぶり(4年ぶり?)に読書録を書きます。

数学の独立研究者の森田真生さんのエッセイ集「数学の贈り物」です。

 

数学の贈り物

 

こちらご本人HP。

choreographlife.jp

私はこの本を「著者自身の生活における一コマを数学や物理・歴史などの観点から抽象化することで、生きるとはどういうことかを考えていくエッセイ集」と捉えました。

特にp.120〜の「かぞえる」というエッセイでは、「かぞえる」の語源は「か+そえる」で、過ぎ去った日に「か」(=日)を添えていくことという記述があり、まだ数えることを知らない著者の幼い息子にとって世界はどのように見えているのか、と展開されてゆきます。自分のことに置き換えれば、毎日書くことにしたこのブログもやはり「か」を添えていく試みと言えると思います。流れる日々になんとか抗おうとしているわけです。いつまで数えていけるのかよくわかりませんがやっていきたいと思います。

以下その他印象に残った事項を列記していきます。

「身軽」p.26 近代哲学の父と呼ばれるデカルトには定職がなかった。

「意味」 p.58 ここ引用(学生時代、数学についてゆけなかったと嘆く人に対して)

要するに、(-1)×(-1)=1でなければならないというのは記号の側からの要求であって、そこにあらかじめ予定された「意味」などないのだ。記号が、意味の先まで人を導いてくれる。・・・記号が要求する行為(計算)の反復によって、次第に意味はつくりだされていく。・・・

数学を勉強していて意味がわからなくなった瞬間、自分が数学に「ついていけなくなった」と落ち込む必要はないのだ。自分が数学についていけなくなったのではなく、むしろ、意味が数学についていけなくなったと考えてはどうか。自分が数学においていかれたのではなく、自分が数学とともに意味を後ろに置いてきたのだ。行為に先立つ意味がないというのは、日常においては常識である。・・・

大人になると、意味の世界は安定していく。・・・安定した意味の世界は、平穏な代わりに退屈だ。数学は、この退屈さを突き破る。新たな記号と記号運用な規則を導入すれば、人はそれまでに経験したことのない意味不明な(しかし既存の行為を自然に延長していると思われる)行為に耽ることができる。その行為の反復が、新たな意味を立ち上げる。数学の力を借りて人は、いつまでも幼子のようであることができるのだ。

「reason」p.81 岡潔のエッセイに惹かれて数学の世界に飛び込んだ。

「変身」p.97 計算機科学者で教育者でジャズ演奏家でもあるアラン・ケイは「コンピューターは洗練されたテレビになった」と嘆いていた。(以下に該当記事)メタメディアを使いこなすための能力を、読み書きの能力を身につけるように真剣にやっていこう。

www.fastcompany.com「胡蝶」p.112 『やわらかな思考を育てる数学問題集』

 「母語」p.136 ライプニッツ(17〜18C初頭)のドイツ語改良の試みは人工言語の創造、すなわち言語を演算処理することで真理に到達することを目指した。フレーゲ(19〜20C)の概念記法で結実し、人工知能研究の礎石に。

「現在(プレゼント)」p.151 「はか」はかる、はかばかしい、はかどる、はかない

現在は、プレゼント、すなわち贈り物(おくり)であり、遅れ(おくれ)ているのです。数学という営みは、「1」という尺度を押し当てて「はかる」こと(比によって世界を咀嚼すること)。生きるとは、「私」という尺度で世界の距離をはかること。数学するとは生きることです。数学する人生、数学する身体。

 

次は岡潔とアラン・ケイについて何か読もうと思います。