きぽん’s Room

kipon氏の日々の進捗を音楽とともに記録していくお部屋です

20240106_Don’t look back into the Sun

文章を書くとき、私は読み手の存在を意識せざるを得ない。誰も見ないノートに書く時さえ、それが誰にどのように受け取られるかということに思いを持っていかれる。この文章を書いているときもそうだ

多分頭で考える時もそうだ。頭の中で語る時、私の中では入れ替わり立ち替わり出会ったことがある人が現れて反応してくれる。脳内で擬似的に対話をする。記憶の中で、私は彼らに何回も会っている。

ブログとはいわばプレゼンであり、スピーチのようなものだ。スピーチは文体の影響を色濃く受ける。例えば一人称を「私」として、常体で書くだけで、カッコつけた自分としての文体が出てきてしまう。

ここ1年程度、自分から逃げるためにYoutubeを延々と見ていた。それから、仕事上大変承服しがたい文体の文章ばかり読むことになった(具体的には、読点の位置が本当に気持ち悪く唾棄すべき文章)。そうしたら、私自身がかつてどのように文章の書き方を忘れてしまった。それは、多分、自己の語り方を失ってしまったということだと思う。自己の語り方を失ったものは、ひとと関わるすべを持たない。これは、明らかに後退だと思います。頭の中にあるのは混沌です。それを整理していくのか、混沌のまま処理していくのか、ここで考えていきたいと思う とりあえず、なんでもいいから言葉を取り戻したい どれだけ汚くても、本当のことを書くしかない

それには、ひとつ、自分が何が好きだったかを冷徹な目で見直して、一つ一つ見つけていくことだと思う。

ーーーーーーーーーーー

YouTubeをずっと見ていました。チャンネルはクイズ系、麻雀などです。休みは一日11〜12時間ほど見ている時もありました。怖くてその時のiPhoneのスクリーンタイムは見返せません。(やはり、記録をとることによって、目標というか、対象というか、そういうの固い言葉でなんていうんだっけ?の行動は強化/セーブされるとおもう)歩いている時も、お風呂でも、寝ている時も聞いていたので、どんどん依存性が増していき、聞いていないと不安になってくるようになりました。そのうち登場人物が本当の知人であるように錯覚しかねないようになっていきました。YouTubeを見ると、友達が喋っている、と思って安心するのです。そんなこんななので、朝起きれなかったり、社会生活を営むのも怪しくなっていきました。しかし、現実から逃げたいので、やめるわけにはいきません。現実は自分の中で妄想を伴ってどんどん膨れ上がっていきます。これは大変まずい その過程で自分の言葉を無くしてしまった 

ーーーーーーーーーーー

ところで、文体に絡めて自分は過去のラインや文章をよく見返す、という話をしたい。多分自分の文体のピークは、大学4年〜社会人2年目の時だと思う。友人が作った冊子に寄稿した文章(ジャン・ジャック=ルソーと経済理論について)と、バイト先の友人に書いた他己紹介だった(親御さんに教授が書いたのかと思ったと言われた)のですが、もうあんな文章は書けないだろう。としか今は思えない。(今はね)ああ、いま唐突にリバティーンズが好きだったことを思い出した。とりあえずここまで

Don’t look back into the Sun - The Libertines 和訳 - You only live once