きぽん’s Room

kipon氏の日々の進捗を音楽とともに記録していくお部屋です

20250125_わたしたちの失敗

先週のまとめをするか、と思いましてね

1/13 高校の友人と大学の友人と合コン

1/14 会社の先輩とランチ

1/15 空手(長追い突きできた)

  終わった後の居酒屋が最高だった

1/16 面談および会社の新年会

1/17 山下達郎振替公演ライブ@NHKホール

1/18 朝髪の毛切りに行って、初めてパーマを当てた、

  空手行って(抜塞と長追い突きができたのでよかった)

  合コン(月曜と主催者が同じ)

1/19 ギターのメンテに行って、ライブに向けて個人練習、
  地元に新しいスタジオを見つけた

これだけ見てるとめっちゃ遊んでるやつみたいだな(真逆)

 

最近横蹴り(左右2回)と抱え込み跳び(10回)を毎日やることを心がけている

 

cabsが再結成したので改めて聞いている、これのイントロがカッコ良すぎる

タイトルから森田童子とUNISON SQUARE GARDENのぼくたちのしっぱいを想起させる

 


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20250107_WONDER WORD

言えた言葉以上に聞こえた言葉はそっとふたりを恋へ誘うようなワンダーワード i say something and you hear more than that, it’s wonder words that make us fall in love 増えた言葉は全部、消えた言葉は全部、ふたりの恋を祝うようなワンダーワード i speak too much and forget to say my love, it’s wonder words that makes us bright ワンダーワード、言葉の奇蹟! wonder words, it’s amazing!


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言葉は不思議なものだ、人から与えられた言葉ではなく、自分の言葉で語りたい、もちろん完全にオリジナルなものはないけれど

全く話は変わって生きるにおいて「サイン」「流れ」というものがあると思う、明示的には示されなくても、そうしなさい、という大いなる意志のようなもの これに逆らってしまうとよくない、本当に逆らいまくった(全てを拒否した)1年でした 頑固さに拍車がかかってしまった、優柔不断な頑固

或る友人が「つまらなくなるのは簡単」と言った。その時は、そう簡単につまらなくなる(僕は、人間が情熱を失う、あるいは他責的になる、という意味にとらえた)ものかと、悩んでいるうちはつまらなくならない、一生悩みは消えないと思っていたので、いたが、甘かった

悩み、あるいは優柔不断さというものを抱えるには必然的に脳のリソースを食う、リソースがゼロになってしまうと、社会生活を営めなくなる、したがって、社内生活を営むためにある人はつまらなくなっていく。これは諦めでしかない

あなたの横にもいる活力を無くしたおじさんは、あなた自身であり、かつてあなただったものであり、これからのあなたであり、パラレルワールドでのあなたであり、いや、おじさんだけではなく、すべての人は私であるかもしれなかったものである しかしこの考え方は俗世を生きるのにはあまり向いていないと思います

具体的に書くことは、心を傷つける行為であり、抽象的に書くことは、それから逃げる行為です。まだあなたは嘘をついていますね?ーーー>>そうです。でも多分嘘をつくことと、本当のことに気づかないふりをすることのどちらがマシなのだろうか。今のところは、嘘をついてでも本当のことを書こうとすることのほうがまだ明るく見えます。いま、あなたは深く潜ることを拒否して浅い海で泳いでいますね

あなたが何かについて語るとき、その語り方は必ず語られるものとあなたとの関係を抜きにしては語れません。やっぱり、話す、ということに興味があるかも知れない、これは、生産的な発見だね。接する情報量を落としていけば、もう少し楽になれるかな

日記というのは、誰に書いているかわからないから書けないのだ、と思いました。であれば、誰に書いているのか仮想でおけば良いのか。多分それは未来の自分というのが解なのだと思われる。が、そんな明るい気持ちにはなれません

私は歌を歌うのが好きです。歌を歌うというのは、歌うべき(歌われる<その昔、うたわれるものという作品がありましたね>)ものが決まっているから、私は歌えるのだということを書こうとしましたが、同じくスピーチ(即興)は苦手です。(違うわ。受け答えかな?)だからきっとそれだけではありません。でも朗読は多分できます。子供の頃、得意でした。そこからいくと、リズムが決まっているかどうかだと思いましたが、それも違いますね。不安になるとリズムがどんどん早くなって(早口)しまうのですよ。多分、自分が発話している間に他人からリアクションがあると想定されているかどうかです。例えば、スピーチで自分が笑いを取ろうとしたところで聴衆の反応が全くなかったら、あるいはたとえ反応があったとしても、自分が思ったより笑いが得られなければ、その瞬間に狂ってしまうタイプの人がいます。すなわち、私のことです。スピーチというのは、明示的に聞き手が想定されているので、(←オレはこの「明示的」という単語も嫌いだ、何が明示的なの明示的に示してほしい、明示的に示すってなんだ?頭痛が痛いの親戚か?早くおうちに帰ったほうがよろしい。)/// 一方、歌や朗読はその間に客がチャチャを入れることは想定されてない、いや、というより、歌は確かにそうかも知れないけど、「シーン」となることが全くない(=歌、私の場合はバンドなので特に)か、「シーン」としていることが当たり前(=朗読)か、であれば問題ない。ということは、それ以外のシーン(こっちはScene)でも「シーン」が自分にとって問題なければ(脚注:今最後に遡って書いてて若林の人間不信者による笑い中毒の話と会社でやったプレゼンの話を書きたいが眠すぎてもういいや) (今日、「単にレイヤーの高い具体」のことを「抽象」と呼んでいた人間がいて、憤りを感じずにはいられなかった、そんなものを抽象という言葉で表象するな、とブチギレたくなった。<嘘です>)文章を書くということは、矛盾を引き受けるということであり、他人に非難される覚悟を持つということだろう

あと、嘘についても興味がありますね、なぜ人だけが嘘をつくのか?というのは、陳腐なテーマに聞こえてしまいますが、どこかで読んだ気がするタイトルの本ですね

タイトルをワンダーワードにしてよかったね。話まとまってきてませんか?そうでもないですか。そうですか。多分これをチャットGPTに入れて、この人は何を考えていますか?と問えば、それなりの回答が返ってくると思いますよ。今、俺は令和ロマンの高比良くるま氏が言うところの「歯の前でしゃべる人間」になっている。あゝ、書けるジャないか、制限をかけていたのは自分だったのだ、鶏?ペンギン?の群れに囲まれて飛べないと思い込んだ鳩のように。綺麗な文章を書こうと思うのが間違いなのだ、否、文章を書こうと思うことが間違いなのだ、主語述語の関係がなんだ、係り受けがなんだ、てにをはがなんだ、そんなことを気にしているから人は語る言葉を持たなくなるんじゃないのか、子供は国語が、作文が嫌いになるんじゃないのか、おい、しっかりしてくれ、その言葉になるかならないかのマグマのようなものを無視しているから社会はおかしいことになるんじゃないのか?そういうのを無視してきた人間を俺は罰したい。そうだろ?意味のある文章なんてもう二度と書きたくないんだ、お前がわかればそれでいいだろ?(ただ自分が他人の文章を読む時は死ぬほど文構造が気になりますけどね<ここは粗品の声を当てる>)あでゆー(雀ゴロのずんだもん!!!!)

あと、ダブルスタンダードというものについて書きたい、それからアクセルとブレーキの話、意識と無意識の話、あと占いについて、また「行動指針」について、そして、「歌詞を書く」ということにモッっと向き合わないといけないだろう. そして、この意味不明な文章は脳内をできるだけリアルタイムに書き表したものなのでしょう、それをマグマのまま、おいておく、まずはね

20240106_Don’t look back into the Sun

文章を書くとき、私は読み手の存在を意識せざるを得ない。誰も見ないノートに書く時さえ、それが誰にどのように受け取られるかということに思いを持っていかれる。この文章を書いているときもそうだ

多分頭で考える時もそうだ。頭の中で語る時、私の中では入れ替わり立ち替わり出会ったことがある人が現れて反応してくれる。脳内で擬似的に対話をする。記憶の中で、私は彼らに何回も会っている。

ブログとはいわばプレゼンであり、スピーチのようなものだ。スピーチは文体の影響を色濃く受ける。例えば一人称を「私」として、常体で書くだけで、カッコつけた自分としての文体が出てきてしまう。

ここ1年程度、自分から逃げるためにYoutubeを延々と見ていた。それから、仕事上大変承服しがたい文体の文章ばかり読むことになった(具体的には、読点の位置が本当に気持ち悪く唾棄すべき文章)。そうしたら、私自身がかつてどのように文章の書き方を忘れてしまった。それは、多分、自己の語り方を失ってしまったということだと思う。自己の語り方を失ったものは、ひとと関わるすべを持たない。これは、明らかに後退だと思います。頭の中にあるのは混沌です。それを整理していくのか、混沌のまま処理していくのか、ここで考えていきたいと思う とりあえず、なんでもいいから言葉を取り戻したい どれだけ汚くても、本当のことを書くしかない

それには、ひとつ、自分が何が好きだったかを冷徹な目で見直して、一つ一つ見つけていくことだと思う。

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YouTubeをずっと見ていました。チャンネルはクイズ系、麻雀などです。休みは一日11〜12時間ほど見ている時もありました。怖くてその時のiPhoneのスクリーンタイムは見返せません。(やはり、記録をとることによって、目標というか、対象というか、そういうの固い言葉でなんていうんだっけ?の行動は強化/セーブされるとおもう)歩いている時も、お風呂でも、寝ている時も聞いていたので、どんどん依存性が増していき、聞いていないと不安になってくるようになりました。そのうち登場人物が本当の知人であるように錯覚しかねないようになっていきました。YouTubeを見ると、友達が喋っている、と思って安心するのです。そんなこんななので、朝起きれなかったり、社会生活を営むのも怪しくなっていきました。しかし、現実から逃げたいので、やめるわけにはいきません。現実は自分の中で妄想を伴ってどんどん膨れ上がっていきます。これは大変まずい その過程で自分の言葉を無くしてしまった 

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ところで、文体に絡めて自分は過去のラインや文章をよく見返す、という話をしたい。多分自分の文体のピークは、大学4年〜社会人2年目の時だと思う。友人が作った冊子に寄稿した文章(ジャン・ジャック=ルソーと経済理論について)と、バイト先の友人に書いた他己紹介だった(親御さんに教授が書いたのかと思ったと言われた)のですが、もうあんな文章は書けないだろう。としか今は思えない。(今はね)ああ、いま唐突にリバティーンズが好きだったことを思い出した。とりあえずここまで

Don’t look back into the Sun - The Libertines 和訳 - You only live once

20240807 良い反応です、1翻ロンです

・毎日日記を再開します(おそらく4回目)

・今年の年初からいろんなことに対する悩み?躊躇?多く過ごしてきました

・その結果、主にYoutubeを見る、麻雀をやる、といった逃避行動に走ることが昨年、一昨年よりもさらに増えていました

・その結果、日常の生活もままならないことが増えていました(睡眠不足、ラインに返信できない、予定のダブルブッキング、髭は剃らない、風呂に入らない等)

・そんな状態で過ごしていたら、最近何に悩んでいるのかよくわからなくなってきました

・やはり(唐突)自分の状態を記録しておくことが大事だと思ったわけです

・思っても、文章にしなければ脳に悪い仕方で堆積してしまう

・特に自分は他人のことを考えている時間が長いような気がしており(思いやっているということではなく、あの人あんなこと言ってたなとか、顔が浮かんだりとかそういうニュートラルな意味です)(←これは大変おめでたいと言える。お前はもっと自分の人生を建設的に考えろ)、そのズレがコミュニケーションにおいてよくない方向に作用することもある

・だから書くわけですね

・あと、周りに適度なざわざわがあったほうが良いかもしれないね

・そうそう、日曜日に空手でじいじ(御年80歳?くらいになる先生)と話していて、「空手とは、どうしたら楽に楽に生きることができるか」探す営みだと言っていた

・俺はそれに対して「仕事してると窮屈ですよね」みたいなことを言った

・それに対して「お前なんかは空手とかいうわけのわからないものをはじめてよかったかもしれんね」と言われたので、嬉しかった

・松濤館二十訓に「凡ゆるものを空手化せよ其処に妙味あり」とあります

・今度かけたら詳しく書くけど、空手化せよと思っているうちはダメで、自然に空手になっていたというのが理想だ

・したがって、俺は人生が空手になり、人生が音楽になることが最高の境地だ、多分

・表題はライブの打ち上げで話していた時に話題になったフレーズです。俺は麻雀の曲を作るよ

・さっさと寝なさい